ローンや保険料を払うのがキビシイ!と感じたらお読み下さい

毎月の住宅ローンや保険料が払えない時のプランナー

仕事が出来ない収入も無い貯蓄はどんどん減っていく1

2011年3月11日に東日本大震災がありました。当然のように日常生活がぐちゃぐちゃになるわけです。昨日まではその辺に買いに行けば手に入ったものが何も手に入らなくなるわけです。

 

あれだけ数の多いコンビニもダンボールがガラスや入り口に貼られ営業を中止しています、スーパや商店もどこも営業していない。高2と中2の子供二人がいる状況ですからまずは食料の調達が必要となります。

 

テレビなんかで自衛隊やボランティアが食料を持ってきたり炊き出しをしている映像を目にしたかと思いますが、それは避難所の話であって自宅にいた人たちは食材も食料もなければ、店がどこも営業していないので調達手段が全く無かったのです。

 

震災当時多賀城市で地元では有名な激安スーパーで嫁と買い物中に被災したので、我が家は食べるものがほぼない状態だったのです。さらにガソリンスタンドも営業していませんので自宅近くを歩って買い出しに出かけたわけですが、

 

当たり前のようにどこもやっていない、というより大きなスーパーとそこら中にあるコンビニ以外仙台市には存在していない事実に気が付かされます、当然のように一斉休業中。記憶をたどって個人商店に行ってみますがやはり営業していない。

 

ところが意外なところで数人の列を発見、そこはお菓子の卸のようなお店で日常全く気にしたこともない場所です。私もそうですが大人が積極的に入る店ではないでしょう、どちらかといえば駄菓子屋に近い感覚の店です。

 

ともかく並んで順番を待つと皆大量に買い込んでいるわけです、水と食料というよりジュースとお菓子ですが。なんにせよ食材のない家ですから贅沢を言っている場合ではありません、さらに電気もガスも止まっており3月とはいえ冷凍庫の中身もすぐダメになるでしょう。午後からは片付けがてら事務所に行って再度お店の散策です。

 

当時の事務所は仙台駅前のビルの10階にありましたが当然エレベーターは停止中です、階段で10階はかなりきつい。事務所に入ってみればホワイトボードから机から収納まで全てひっくり返っており、足の踏み場もありません。

 

とりあえずは倒れているものを起こして散らばったものを拾い集め、なんとなくの片付けは終了です。仙台市は水道そのものは止まっているのですが、この建物は給水塔が上にありそのタンク内の水がある限り水が使えるようです。

 

しかもテナントで入る会社そのものはどこも営業してないとみえ、転がっていたポットなどに少しばかり水をキープです。そしてお店を探しにメイン通りである仙台駅の反対側へと出向くと仙台駅もぐちゃぐちゃな状況です。

 

ところがよく見ると自動販売機の電気がついています、試しにお金を入れてみると普通に買えます。駅員に仙台駅は自家発電か聞いてみると「いま電気きたんじゃないですか?」とのお返事。

 

ということでなんと震災翌日の午後には仙台駅周辺は電気復旧です。急いで事務所に戻ると電気が復活しています、炊飯器と米を事務所にもってくるように電話。程なくしてホットプレートも持って家族全員事務所集合。冷たい食事からは半日で開放されました。

 

自宅マンションも夜には電気が復旧です、電気は街の中心から復旧していきガスは反対に海の方から復旧した様子です。結局ガスが復旧するまでは2ヶ月位掛かりました。

 

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